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山口地方裁判所 昭和34年(わ)255号 判決 1960年3月08日

被告人 村田種一

大一〇・三・二六生 工員

主文

被告人を懲役三月に処する。

但し、本裁判確定の日より二年間右刑の執行を猶予する。

被告人に対し、公職選挙法第二五二条第一項所定の、選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、鐘淵紡績株式会社防府工場動力課機関係工員として勤務する者であるところ、昭和三四年五月二三日一時間位時間外勤務をした後、午後六時頃から工場の同僚二人と共に防府市内の飲屋において飲酒し、相当酩酊したが、同夜同市選挙管理委員会主催にかかる、同年六月二日施行参議院議員通常選挙地方区立候補者立会演説会が、同市車塚同市公会堂において開催されるので、演説を聴くため右公会堂に赴き、聴衆席最前列に位置していたところ

第一、午後八時頃、自民党公認候補者吉武恵市が演説を開始すると、同候補者に対し「それが民主主義というものか」「そんなことがあるか、嘘をいうな」「それがあつたらどうするか」等と執拗に大声をあげ、聴衆より「やかましいではないか」と声をかけられると、その一人に対し「やかましいのはお前ではないか」等と応酬し、同会場を騒然とさせ、よつて同候補者をして、約六分間演説を中止するのやむなきに至らしめ、もつて選挙の自由を妨害し

第二、右の際、前記選挙管理委員会委員長北村直甫は、同委員会事務局々長長松一男をして被告人に対し、数回にわたり、「静かにして下さい」等と伝えさせ、よつて被告人の前記妨害行為を制止したが、被告人がこれに従わなかつたので、更に同委員会書記塩谷昇をして、被告人を会場外に退去させようと考え、右塩谷昇にその旨命令し、右塩谷昇が右命令執行のため被告人に近付き、その手を持つたところ、被告人はやにわに同人の胸部を両手で突いて附近の聴衆用椅子上に尻餠をつかせ、もつて右委員長の退去の処分に従わず、且つ委員長の退去処分を執行する塩谷昇の職務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)

一、証人北村直甫、同山本彰、同長松一男、同塩谷昇、同安村俊雄、同有富辰市の各当公廷における供述(全事実につき)

一、証人河野信次の当公廷における供述(冒頭の事実につき)

一、防府市選挙管理委員会委員長の同委員会招集告示(昭和三四年五月二六日付)写(第二事実につき)

一、防府市選挙管理委員会会議録(昭和三四年五月二九日付)写(第二事実につき)

一、被告人の検察官に対する供述調書(全事実につき)

一、被告人の当公廷における供述(全事実につき)

以上を綜合して認める。

(事実認定についての補足説明)

検察官は、第二の事実につき、前記選挙管理委員会事務局々長長松一男及び同委員会書記塩谷昇は、同委員会より、公職選挙法第一五九条第一項所定の指定をうけた上被告人に対し制止及び退去の処分をなしたもの、したがつて、被告人の所為は指定をうけた右両人の制止及び退去の処分にしたがわないものだと主張する。そこでこの点につき判断する。

右指定という行政処分は、特定の人に、限定されたものではあるが、強制力行使の権能を授与するいわゆる設権行為であり、右指定をうけた者は、委員長の指揮をまつまでもなく、独自の判断で公職選挙法第一五九条第一項所定の制止及び退去の処分をなすことができる。したがつて、右指定は、その主体・内容・手続・形式において法の定める要件を具備することを要し、且つ被指定者にそれが到達することを要することはいうまでもない。

以下、塩谷昇・長松一男に対し、右指定がなされたか否か個別的に検討する。

(1)  塩谷昇について

右委員会が塩谷昇に対し、会議の表決を経て右指定をなしたとの証拠はない。証人北村直甫・同長松一男・同塩谷昇の各当公廷における供述、昭和三四年五月二三日及び同月二九日付右委員会々議録等を綜合すると、むしろ、塩谷昇に右指定を与える会議の表決のなかつたことが明瞭である。即ち右立会演説会直前に開催された会議では指定の表決はなく立会演説会中における委員三名の協議も、地方自治法第一八九条第一項所定の会議ではない。この点に関する証人山本彰の当公廷における供述は措信できない。

ついで、右委員会委員長が、塩谷昇に対し地方自治法施行令第一三七条第一項所定の専決処分として、右指定をなしたか否かを考えてみる。

証人北村直甫の当公廷における供述によると、会場が騒然となつた際、同人は右委員会委員長として地方自治法施行令に基づく専決処分として、右塩谷昇に対し、被告人を指示し「出してくれ」といつたということであるが、少くとも、専決処分として塩谷昇に右指定を与える旨を明言していないことは明かである。被告人を指示し「出してくれ」という口頭の表示が、右指定の内容を持つとは到底いい得ないところであり、北村委員長が内心において指定の趣旨であると考えていたとしても、(量刑についての判断の箇所で述べる如く、他の証拠を綜合すると、北村委員長が被告人を出してくれといつた時は地方自治法施行令による専決処分としてこれをなすものであることは意識していなかつたと見るのが相当であるが、今はこれを問わない。)、その表示された外形によつて判断すべきものであることはいうまでもなく、結局、右表示のみでは、指定としては不存在というべく、仮りに不存在とまでいえないとしても、指定としての形式を欠く点において無効であることに間違いない。

なお、証人塩谷昇に対する当公廷における尋問及び供述には次のような部分がある。

問「委員長はどんな態度で連れ出せといつたのですか」

答「私が自分の席に座つている時喧騒が相当ひどかつたので長松事務局長が村田さんの前に行つたのですがその時北村委員長が口を動かしたのですが、聞えなかつたのです。それで安村委員がそれを私に伝えたようでしたがそれも聞えなかつたのです。その次にいた山本委員が手で伝えてくれて初めてわかつたような状態でした。」

問「証人は北村委員長の指示が何と思つたのですか」

答「山本さんは手を動かして出せという態度を現わしたのです。」

問「委員長は何かのそぶりをしませんでしたか」

答「あごでしやくるようにしながら口を動かしたのです。」

問「証人としてはそれだけではわからなかつたのですか」

答「開催する一時間前の委員会の席で、秩序維持についての説明がありましたので当然出せといわれたのと思つたのです。だから私は出すべく村田さんの所へ行つたのです。」

一方証人山本彰の当公廷における供述によると、委員である同人は、独自の考えで塩谷に対し被告人の連れ出しを指揮したのであつて、北村委員長の命令を塩谷昇に伝達したものでないことが明かである。

右証人塩谷昇、同山本彰の当公廷における供述を綜合すると、北村委員長が被告人を出してくれと口頭で表示したとしても、口頭による表示そのものは、直接的にも間接的にも塩谷昇に到達しておらず、ただ北村委員長の「あごでしやくるようにして口を動した」素振が塩谷昇に到達しているに止まる。そうすると被告人を「出してくれ」という口頭の表示が、仮りに右指定の形式を設えているとしても、それは塩谷昇に到達しておらず、指定はこの点からも無効である。以上の如く、塩谷昇に対し、地方自治法施行令第一三七条第一項所定の委員長の専決処分としても、右指定はなされていない。

(2)  長松一男について

右委員会事務局々長長松一男に対しても、右指定をなしたとの証拠は存在しない。即ち委員会が会議の表決を経て右指定をなしたとの証拠も全然存在せず、又北村委員長が地方自治法施行令第一三七条第一項所定の専決処分として右指定をなしたとの証拠も全然存在しない(証人長松一男の当公廷における供述によれば、北村委員長は「静かにさせないか」といつただけであつて、これを以て右指定の趣旨であるといえないことは勿論、証人北村直甫の当公廷における供述によつても、長松一男に対し専決処分として指定をなしたとの事実は全然存在しない)。

以上の如く塩谷昇、長松一男は右指定をうけておらない。然し、証拠の標目にかかげる各証拠を綜合すると、被告人に対する制止及び退去処分は、北村直甫が委員としてなしたそれであり、塩谷昇、長松一男の具体的行為は、右北村直甫が制止及び退去処分をなすにつき、委員会事務局職員として委員長の指揮をうけ(地方自治法第一九一条第三項参照)、その手足となり事実行為を担当したに過ぎないことが明かである。したがつて前記「罪となるべき事実」の如く認定した。いずれにしろ、被告人の所為が検察官主張の犯罪を構成することは否定できない。なお、右の如く認定しても、具体的事実関係には異同はなく、ただ塩谷昇、長松一男の行為についての法律的評価を異にするだけであるから、被告人の防禦に実質的不利益はない。そこで右の如く認定するにつき、訴因変更の手続は必要でないと考える。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は本件犯行当時酩酊のため心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたと主張するので、この点につき判断する。各証人及び被告人の当公廷における供述、被告人の各供述調書を綜合すると、被告人が本件犯行当時相当酩酊していたことは明かである。然し未だ以て心神喪失の状態であつたといえないことは勿論心神耗弱の状態にもなかつた。即ち被告人の検察官に対する供述調書によると、被告人は検察官に対し、本件犯行の経緯を些細な点は別として比較的正確に述べており、これと証人北村直甫、同塩谷昇の各当公廷における供述等を綜合すると、被告人は本件犯行当時是非善悪の弁別能力を著しく欠いていたとはいえないことが明かである。よつて弁護人の右主張は採用しない。

(適条)

判示第一の所為につき

公職選挙法第二二五条第二号(懲役刑選択)。

判示第二の所為につき

公職選挙法第一五九条第一項第二四四条第五号(禁こ刑選択)刑法第九五条第一項(懲役刑選択)第五四条第一項前段第一〇条(重い公務執行妨害の罪の刑に従う)。

刑法第四五条第四七条本文第一〇条(重い公職選挙法第二二五条第二号違反の罪の刑に法定の加重をする。)

刑法第二五条。

公職選挙法第二五二条第三項。

刑事訴訟法第一八一条第一項本文。

(量刑についての判断)

被告人の本件犯行が選挙の自由・公正・秩序を害する行為であることはいうまでもない。

然しながら、(1)被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書、被告人の当公廷における供述、証人河野信次、同井上高明の各当公廷における供述を綜合すると、被告人は、特定の候補者を殊更誹謗しようとの深い魂胆があつて本件犯行に至つたものでなく酒の力により自制力を失つて、軽挙妄動したに過ぎないものであること、(2)証人有富辰一、同神力一、同大谷泰等の各当公廷における供述を綜合すると、演説の妨害につき被告人が発端をなしたことは事実であるが、被告人の後部にいた吉武候補者の同調者と思われる一聴衆がこれに応酬することにより喧騒が重大化した事情にあること、(3)証人井上高明の当公廷における供述によると、被告人は平素極めて真面目な人間であること等の各事実が明かである。そこで主文第一・二・三項のような科刑及び処置が適当であると考える(なお、北村直甫・山本彰・長松一男・安村俊雄・塩谷昇の各検察官に対する供述調書及び同人等の当公廷における供述を綜合すると、委員会側が被告人を退去させるについては、その権限等について深い反省なく行われ、事後になつて、会場における委員三名の協議を以て委員会の表決、塩谷昇に対する退去処分についての指示を以て右指定とみなそうとし、右の協議を委員会の表決とみることが困難であると考えるに至るや、右の指示を以て地方自治法施行令第一三七条第一項による委員長の専決処分による指定とみなそうとし、事後において塩谷昇の退去処分を合法化しようと努力したあとがみられる(実際には、「罪となるべき事実」に認定する如く理解すれば足りるのだが)。かような権限についての無反省から、委員会側に若干の権限逸脱があつたのではないかと推測される。即ち証人塩谷昇・同長松一男の当公廷における供述によると、被告人の妨害行為に対し形だけの制止行為をなしたのみでいきなり退去処分に及んでおり、殊に長松一男は委員でもなく委員会の指定もないのに、委員長の指揮を待たないで(北村委員長は「静かにさせないか」といつただけである)、自から被告人に退去を要求している。他人に対し強制力を行使するには、慎重な配慮が必要であつて、この点委員会側に、被告人の公務執行妨害を誘発する一半の責任がなかつたとはいえない)。

(裁判官 竹村寿)

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